October 18, 2009
【EVENT】下田昌克×高須光聖トークショーレポート
何より、レポートが遅くなってごめんなさい。
100名を超えるお客様にお越しいただき、
客席連動で、楽しめました^^
10月10日
【EVENT】下田昌克×高須光聖トークショーレポート
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下田さんは前日もライブペインティングで
お店入りしていただいていたので、
スタッフもだんだん慣れてきて、
なんたって3食を当店カフェで食べてくださるので、
カフェスタッフとは、仲良しになっていただきました。
たぶん気に入っていただけたのは、カレー。
おやつにカレーを食べる(あ、これ言っちゃだめなのかな)。
ただ、スタッフともども、やはり前日から結構緊張が。。。
トークショーが近づくにつれて、会場の設営が進んだり、
お客様の導線確保などなど、準備も整ってくると、
あんまり笑えない・・・(笑)
けど、やっぱり当日は来て、高須さんも到着!!(えっ!もう?)
どうしよどうしよ・・・
とあせってましたが、しっかり始めることができました。
始まってすぐのお二人。
『お、すごい人・・・』
そうなんです。
この日、着席MAXでっも60名のスタンダードブックストアカフェ。
が、今日、店内にあるあらゆる椅子をかき集め、
(スタッフの休憩室から、社長の椅子から、本屋スペースの休憩椅子まで)
合計78席!!
できるもんだ。。。
しかも、その着席スペースの後ろに30名を超える立ち見の
お客様まで。
スタッフの通路無・・・。
『夢は何なの?』
と結構ディープなお話があって、なんと予定よりも50分押し・・・。
いろんなイベントを続ける当店でも、二人のトークショーで
こんなに押すことはまあありませんよ。
当日のお客様はかなりラッキーだったかも。
最後は全員で、記念写真!
なんと、下田さんが、『昔からやってみたかった!』そうで・・・。
お二人ともありがとうございました。
また、お仕事でもプライベートでもいつでもお越しくださいな。
当日(前日から)書いていただいた、ライブペインティングの
絵は、今もカフェに飾っております。
ちょっといつまで飾っておくかは申し上げられませんが・・・。
なお、お二人のサイン本、トークショーにお越しいただけなかった
方向けで、書いていただいておりますので、
ご依頼いただく場合は、
こちらから。
<下田 昌克>
1967年 7月24日生まれ。 兵庫県立明石高校美術科、桑沢デザイン研究所卒業。
1994年から2年間、中国、チベット、ネパール、インド、そしてヨーロッパを旅行。
その2年間に 会った人々のポートレイトを描き続け、1997年、日本に持ち帰った絵で週刊誌での連載を開始し、 本格的に絵の仕事を始め、現在に至る。
著作
2007年 「バナナの蜜」バリ島スケッチブック (講談社刊)
2002年 「PRIVATE WORLD」(山と渓谷社 刊)
2001年 「そらのいろみずいろ」(小峰書店 刊)
共著・挿絵
2004年 子ども版 声に出して読みたい日本語1
どっどどどどうど 雨ニモマケズ/宮沢賢治(齋藤 孝 著/草思社)
2004年 うろこだま てのひらむかしばなし (長谷川 摂子 著/岩波書店)
2001年 「ぼくがぼくであること」(山中 恒 作/岩波書店)
2000年 「羽がはえたら」(ウーリー・オルレブ 作/小峰書店)
雑誌連載
2004年 「VS.」(光文社)
2000年 「月刊アウトドア」(山と渓谷社)旅行先で描いたポートレイトを、
文・写真と構成して連載。(1月〜2001年8月まで、全20回)
1997年 「週刊アサヒグラフ」旅行中に描いたポートレイトを一年間連載
テレビ
2006年 「情熱大陸」 MBS
2005年 絵本「そらのいろみずいろ」がNHK「てれび絵本」にて放映
2002年 北野 武の「二人のTAKESHI」 NHK
2002年 「幕末ヒーロー伝」第1話「鞍馬天狗」 NHK
その他
2007年 映画「クローズド・ノート」の美術に参加
2005年〜 月刊「文藝春秋」にて、山崎豊子「運命の人」の挿絵
●公式ホームページ
http://www.701-creative.com/shimoda/
<高須 光聖>
幼少の頃よりダウンタウンの松本人志と浜田雅功と親交を深め、大学卒業後、
彼らに誘われ24歳で、「4時ですよ〜だ(毎日放送)」にて放送作家デビュー。
25歳で「夢で逢えたら(CX)」「ガキの使いやあらへんで!(日テレ)」への参加を機に、
東京と大阪の往復を始め、28歳で東京移住。
以降、ダウンタウンのほぼ全てのレギュラー番組を手がけるだけでなく、彼らのブレーンとして、
坂本龍一とのユニットバンド「ゲイシャ・ガールズ」や、イベントやライブをサポート。
松本人志プロデュースのビデオ「頭頭」では脚本を担当。
ビジュアルバム「約束」「親切」「安心」では、構成・演出を手がける。
一方で、放送作家として多数のテレビ番組を担当。 ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、
ナインティーナイン、ロンドンブーツ1号2号から KinkiKids、
久米宏(「ニュースステーションを担当」)まで、その幅は広い。
1996年
糸井重里、ウルフルズ、テイ・トウワ、近藤サト(元フジテレビ)、電気グルーブ、
ダウンタウンなどとの対談集「御影屋」(ビクターブックス)
書き下ろしエッセー「友達」(竹書房)の二冊を出版。
2000年春
松本人志の初主演ドラマ「伝説の教師」では原案作成に参加。
同年、自らが企画した「未来日記」が映画化、原案・脚本を担当。
「映画版未来日記」の観客動員数は50万人を越え、まさに大ヒットとなった。
さらに、未来日記挿入歌である、サザンオールスターズの「TSUNAMI」や
福山雅治の「桜坂」は連続ダブルミリオン記録し、「未来日記」は社会現象となる。
2001年春
日テレ系ドラマ「明日があるさ」の脚本を担当。
同年、未来日記が世界中で絶賛を博し、ヨーロッパ、アメリカなど、15カ国で放送。
日本の企画がアメリカの三大ネットワークの(abc)のゴールデンタイムにオンエアー
されるのは異例であり、もちろん日本初の快挙となる。
2002年春
台湾で「明日があるさ」の脚本権が売れ、台湾版「明日があるさ」が放送。
同年秋、映画「明日があるさTHEMOVIE」の脚本を手掛ける。
同年秋、タカラ「e―KARA」(藤井隆・由紀さおり・鈴木杏樹・広田レオナ・温水洋一が出演)
のCM演出を担当。
2003年
「放送室(東京FM出版)」と「放送室の裏(ワニブックス)」の2冊を出版。
同年日経エンターテイメント10月号にて、最も多くのレギュラー番組を持つ
ヒットメイカーとして紹介され、12月27日松本人志と共に武道館にて、
史上最大のラジオ公録(7500人)を開催した。
2004年
「面白くなければテレビじゃない!」を掲げ、フジテレビの27時間テレビに参加 。
芸人祭りに湧いた27時間テレビはテレビ業界の一つの事件となった。
また「ガキの使い」の罰ゲームを集めたDVDが90万枚を売り上げる快挙を達成。
バラエティー番組が出したDVDで類をみない。
2005年
笑福亭鶴瓶氏の「鶴瓶話2005」の一人芝居の脚本に参加。
松本人志初監督映画の脚本を担当。
みずから編集も立ち会った「ガキの使いのDVD」総売上が150万枚を突破。
KinKi Kidsのアルバム「H」(※【AOZORA】)に作詞を提供。
と、その活動の幅を広げている。
2006年
ヤクルトスワローズの古田敦也監督を旗本に作られたFプロジェクトに参加し、
神宮球場の場内演出&プロデュースを手がける。
千原ジュニアのライブ「6人の放送作家と1人の千原ジュニア」に参加し、「話のモルモット」を企画・演出。
家電漫才フルCGアニメーションの脚本&構成を担当し、2007年秋には地上波放送予定。
更にスタジオ4℃「ジーニアスパーティー」作品に脚本として参加。
ニッポン放送では「ザ放送サッカーズ」のラジオパーソナリティーを務める。
2007年
WOWOWで放送された「蒼井優×4つの嘘カムフラージュ」で映画監督山下淳弘、
映画監督タナダユキ、CMクリエーター高崎卓馬と共に4人のクリエーターとして参加。
三話からなる「バライロノヒビ」を制作発表。
一方大学の講演や代理店である電通やフジテレビなどでの講演を多数こなす傍ら
自らの半生を綴った私小説「あまりかん〜尼崎青春物語〜」(KKベストセラーズ)が
紀伊国屋本店にて4月の月間ナンバー1に選ばれる。
盟友でもある松本人志初監督作品「大日本人」の制作にも参加し、
カンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待される。
NHKで放送された松本人志の大人間論ではその苦労を二人で語っている。
2008年
自らも脚本&構成を担当したフルCGアニメーション「家電漫才」がテレビ東京にて放送。
自身初のショートムービー作品である「賽ノ目坂」の脚本&監督を務め同年発表。
TBS系のR30の番組出演ではそのいきさつを語っている。
松本人志とのFMラジオの「放送室」が初のCD化でアルバムチャートのベスト3に入る。
同年松本人志監督作品第二弾「しんぼる」の共同脚本。
恒例となった大晦日5時間50分という「笑ってはいけない新聞社」が視聴率15.4%をとり
DVD売り上げは280万枚を突破した。
●公式ホームページ
http://www.mikageya.com/index.html