April 11, 2015
【EVENT】植島啓司さんが、私たちを幸せにしてくれますよ〜!
植島啓司さん、昨年の8月『処女神 少女が神になるとき』刊行記念に続いての登場です。
その際、『無駄なことが大事』「偶然というものは凄い』とおっしゃってました(こんな感じでしか書けない自分が恥ずかしい・・・)。
さて今回の本のタイトルは『きみと地球を幸せにする方法』!
ほ〜っ、私たちを幸せにしていただけるのですね!?
幸せになりたい方〜、全員集合ですよ〜!
上の画像は前回のトークショーのなんですが、なんだか幸せにしていただけそうないいお顔ですよね〜!
速報など最新情報はTwitterで!
通販ご希望の方はこちら。
通販の一部の商品でクレジットカードが
ご利用頂けるようになりました。 ⇒ こちらから
イベントチケット通販はこちら
その際、『無駄なことが大事』「偶然というものは凄い』とおっしゃってました(こんな感じでしか書けない自分が恥ずかしい・・・)。
さて今回の本のタイトルは『きみと地球を幸せにする方法』!
ほ〜っ、私たちを幸せにしていただけるのですね!?
幸せになりたい方〜、全員集合ですよ〜!
上の画像は前回のトークショーのなんですが、なんだか幸せにしていただけそうないいお顔ですよね〜!
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ホンマにやさしいお顔です。
会場も笑いが絶えませんでした。
サイン会でも笑いが絶えず。
メッチャ気さく!
以下『きみと地球を幸せにする方法』より私が気になった箇所をご紹介。
たしかに昔の日本では多く与えるものが多くの信頼を得てきたのだった。そうやって他人を受け入れることが喜びだったのである。それにひきかえ現在のぼくらは多くを得ようとして、その結果多くを失ってきたのではなかったか。
われわれは一八世紀以来、天然資源をすごいスピードで使い尽くしてきたのに、たしかにそれに寄与するようなことは何一つやってこなかった。「取ること」にばかり熱心で、「与えること」の無関心だった。
「いくらお金を持っていてもおまえみたいなやつには売らない」ということも可能となってきたのである。すなわち、個と個の関係だったのが、貨幣を媒介とした関係に変わり、いまやま個と個の関係へと戻りつつあるのだ。
いまや再び組織を離れて、本当の意味でだれもが主役になりうる社会が到来しつつあるように思われる。
では、お金ではなくていったい何が幸福感の指標になるのか。・・・中略・・・、快適で近代的な個人中心の生き方が追求されてきたのだが、なんとしたことか、そうなるにつれて幸福感はどんどん下降を続けてきたのだった。
日本人の心にはもともと見知らぬ他人が困っていたら助けてあげたいというメンタリティが深く根を下ろしている。そうした伝統はそう簡単に失われることはないのである。
・・・、たとえば一個の果実を食べるにしても、本来その背景にあるストーリーに経緯を払い、それを十分に楽しむことが大切ということである。
もしかしたら、われわれは産業革命より前の時代へと戻りたがっているようにも見える。
たしかに楽にはなったが、列車の旅の豊かさは失われてしまった。旅は単なるムダな移動時間になってしまった。しかも、短縮された時間が必ずしもプラスになっていない。
一見似ているようだけれど「旅」と「観光」はむしろ正反対の概念のように思われる。「観光」はすでに知られた土地を周遊すること、それ対して、「旅」とは未知の領域に足を踏み入れることを意味している。
作家や芸術家はつねに「異邦人」「見知らぬ人」でなければならない。ほとんどのアーチストが旅をして、異国で暮らし、何かしらのインスピレーションを得て、作品を生み出している。
人が幸せでいるための条件は、いま現在が満ち足りているというのではなく、いまは多少苦しくてもいつか必ずよいことが訪れると信じられることだろう。
もしかしたら隣人とはもともと遠くにある人なのかもしれない。隣人が近くにある人を指すとするならば、むしろそれでは貸し借りの関係になりがちだ。・・・中略・・・そう考えると、「だれもが旅人である」という意識を持つことが、相手の心に寄り添うためには不可欠な条件に思えてくる。
「倫理の根本は、ごくかんたんに言えば他者をもてなすことであり、倫理の反対は他者を拒否すること」なのだ。人が守るべきことはその言葉に尽きる。
幸せであるための大切な心がまえとは、「自分にはやりたいことがある」「楽しい仲間に恵まれている」「人生に未練を残さないように生きている」というシンプルな言葉に集約されそうに思います。
トークショーに参加して、実際にお話聞いてみてくださいね!
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『きみと地球を幸せにする方法』刊行記念
植島啓司トークショー&サイン会
【出演】
植島啓司
【日時】
2015年4月13日(月)
開場18:45 開演19:30
ぜひご参加ください!
イベント詳細は → こちら
会場も笑いが絶えませんでした。
サイン会でも笑いが絶えず。
メッチャ気さく!
以下『きみと地球を幸せにする方法』より私が気になった箇所をご紹介。
たしかに昔の日本では多く与えるものが多くの信頼を得てきたのだった。そうやって他人を受け入れることが喜びだったのである。それにひきかえ現在のぼくらは多くを得ようとして、その結果多くを失ってきたのではなかったか。
われわれは一八世紀以来、天然資源をすごいスピードで使い尽くしてきたのに、たしかにそれに寄与するようなことは何一つやってこなかった。「取ること」にばかり熱心で、「与えること」の無関心だった。
「いくらお金を持っていてもおまえみたいなやつには売らない」ということも可能となってきたのである。すなわち、個と個の関係だったのが、貨幣を媒介とした関係に変わり、いまやま個と個の関係へと戻りつつあるのだ。
いまや再び組織を離れて、本当の意味でだれもが主役になりうる社会が到来しつつあるように思われる。
では、お金ではなくていったい何が幸福感の指標になるのか。・・・中略・・・、快適で近代的な個人中心の生き方が追求されてきたのだが、なんとしたことか、そうなるにつれて幸福感はどんどん下降を続けてきたのだった。
日本人の心にはもともと見知らぬ他人が困っていたら助けてあげたいというメンタリティが深く根を下ろしている。そうした伝統はそう簡単に失われることはないのである。
・・・、たとえば一個の果実を食べるにしても、本来その背景にあるストーリーに経緯を払い、それを十分に楽しむことが大切ということである。
もしかしたら、われわれは産業革命より前の時代へと戻りたがっているようにも見える。
たしかに楽にはなったが、列車の旅の豊かさは失われてしまった。旅は単なるムダな移動時間になってしまった。しかも、短縮された時間が必ずしもプラスになっていない。
一見似ているようだけれど「旅」と「観光」はむしろ正反対の概念のように思われる。「観光」はすでに知られた土地を周遊すること、それ対して、「旅」とは未知の領域に足を踏み入れることを意味している。
作家や芸術家はつねに「異邦人」「見知らぬ人」でなければならない。ほとんどのアーチストが旅をして、異国で暮らし、何かしらのインスピレーションを得て、作品を生み出している。
人が幸せでいるための条件は、いま現在が満ち足りているというのではなく、いまは多少苦しくてもいつか必ずよいことが訪れると信じられることだろう。
もしかしたら隣人とはもともと遠くにある人なのかもしれない。隣人が近くにある人を指すとするならば、むしろそれでは貸し借りの関係になりがちだ。・・・中略・・・そう考えると、「だれもが旅人である」という意識を持つことが、相手の心に寄り添うためには不可欠な条件に思えてくる。
「倫理の根本は、ごくかんたんに言えば他者をもてなすことであり、倫理の反対は他者を拒否すること」なのだ。人が守るべきことはその言葉に尽きる。
幸せであるための大切な心がまえとは、「自分にはやりたいことがある」「楽しい仲間に恵まれている」「人生に未練を残さないように生きている」というシンプルな言葉に集約されそうに思います。
トークショーに参加して、実際にお話聞いてみてくださいね!
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『きみと地球を幸せにする方法』刊行記念
植島啓司トークショー&サイン会
【出演】
植島啓司
【日時】
2015年4月13日(月)
開場18:45 開演19:30
ぜひご参加ください!
イベント詳細は → こちら